EDXG ブリテン

私のハムライフ+DX+EME

   

JA5NNS 白方 祥

 開局は中学3年のときで、中学1年の頃からラジオ作りに興味を覚えた頃からの趣味の延長線であったと思います。最初は6BA6−6BM8の高一中波ラジオ、6BA6−6BM8の(O−V−2、5球スーパ(中波、短波)、というお決まりのコースを進みました。5球スーパで7MHzのモガモガ電波と生き残りAMのアンカバーを聞いたのがアマチュア無線の始まりでした。

 それから国際のメカフィルを使った3.5MHzシングルバンド高一中二受信機6BA6(RF)−6U8(MIX)−MF−6BA6(IF)−6BA6(IF)−6BE6(SSB−DET)−6BM8(AF)6C6(VFO)、を作りましたが、SSBの復調にずいぶん苦労したことを覚えています。この受信機と逆Lアンテナで一年ほどSWLをしたと思います。それからPSN式SSB送信機(12BY7A終段2W)を作ろうとしてバラモジのところでトラブった時に高校受験で“待った”が入り、この送信機は結局完成せずに終わってしまいました。

 高校にも無事入学し、送信機製作断念と引き換えに親に約束させたTS−520Xを手に入れることができました。メーカー製の無線機の性能の良さに感心し、自作もどこかへ行ってしまい、そのうち21MHzで垂直タイボールをあげてQSOに走りました。59+で入っていたDUとQSOできたのが最初のDXと思います。それからアンテナをシングルループに替えてDXを始めました。黒点最小のころですがループと10Wで40−50カントリー出来たように思います。それでもなかなかDXが聞こえず、アンテナにゲインがないことが原因とわかり、親にねだって当時発売されたスイスクワッドを買ってもらいました。

 ベランダからボールで突き出し、8mほどの高さで手回しで使いましたが、良く聞こえ良く飛ぶのには十分満足しました。しかし、東にある道後の山が障害で21MHzではほとんどWが聞こえない(市内で59+で入っている信号がS2−3)ことにはうんどりしました。7MHzや3.5MHzのCWではWが良く聞こえることを知り、Wは殆どローバンドでQSOしていたと思います。この頃、高校の同級生のJA5POEが7MHzのフルサイズGPを上げるということで手伝いに行きました。5m高で給電し、ラジアルを4方向に張る立派なものでした。私の逆Xでは7MHzのヨーロッパに対してはウラル山脈を超すのがやっとのところを、彼のGPでは楽々ヨーロッパの深いところまでQSOできていたのには驚きました。

 大学で1エリアにQSYし、秋葉原も近くなり、当時流行はじめたマイコンにどっぶりつかることになりました。幸い、東久留米市にある愛媛県の学生寮にはいり屋上にTA33Jrを上げることができましたのでDXもできる環境ではありましたが、殆どやりませんでした。しかし、1エリアでは北米がこんなに聞こえるものかと驚きました。

 マイコンはモトローラのMC6800(1MHz)を用い、メインメモリー256byte、入力出力はスナップスイッチDMAと2進LED。その後、メモリーは1kbits−ram(i2102)64個を付けて8Kbyteメモリーに拡張、端末は、CRT−displayを自作(TTLとキャラジェネICで自作、電卓キー・ボードをばらしたキーでフルキー、ダイオードマトリックスのアスキーエンコーダー、UARTを使った非同期通信型)して、対話型のコンピュータを完成させました。PLL−ICでカセット用モデム(300ボーFSK)を作り、T/0付録のソノシートからBASICをロードし、リセットした後にREADYが出たときには、やったと感動しました。当時発売されたTR7500のPLLをMC6800コンピュータで制御するという記事をASCIIに書きましたが、多分マイコンによる無線機制御ではJA最初だったと思います。その当時は、青山のマンションにマイコン好きが集まって同人誌を出しているということでした。そこで無線をしているという話をしたら、コンピュータの無線応用ということで記事を書けと言われたことがきっかけでした。青山のマンションで編集長と称してふんぞりかえっていた、早稲田の機械科の留年5年生があのASCIIの西さんでした。

 大学卒業して6−7年は全く無線をする時間もありませんで気が付いたらコールも切れていました。復活措置でコールを取り戻したのが12年前でそれから再びDXを開始しました。3−4年で21MHzを中心に290カントリーぐらいQSOしたと思います。

 今は、2年前に現在のQTHにQSYし、USタワーのHDX−589J(27m)クランクアップにミニマルチのトライバンド7SDX(14−28、7エレ)とナガラTD3040(7、10ダイポール)をあげています。トライバンドの上にはEME用144MHzの13エレ4バラが上がっています。また、KT11C(CD,11mのタワー)に432MHzEMEの八木が16本上がっています。 EMEは月に2日程度のQRVですのでその外は殆どオフシーズンです。この6−7年殆どHFを聞くことが無く、2年前にQSYしてからも殆どHFに火を入れない毎日でした。年末にIC−706MKIIGを手に入れました。家庭内LANと称して2階のシャツクからリビングまで引っ張った10base2ケーブル(RG−58/U)にMコネをつけてリビングからIC706でHFに出れるようにしました。これでもHF1OOWではOKです。リビングからですと確実にHFへのオンエア時間は増えます(特に冬は)。こたつからのDXも乙なものです。ただ、ローテータを回す為に2階に行くのが面倒です。

 144MHzと432MHzの500W免許を受けるときに、リグの無かった50MHzの免許を削除してしまいました。IC−706MKIIGで50MHzが出られますので、再度50MHzの免許をもらおうと思います。次に1296MHzの変更検査するときはついでに50MHzもと思いますが、ロシア球で50MHzの“んKWアンプでいきたいですね。TVIが心配です。総会で紹介したGU84b最適です。無名ですしプレート電圧2KV程度と低いですから、ドライブさえしぼってIp=500mAとでもしておけはOKです。まさか2.5AもIpが流れるとは夢にも思わないでしょうね。

(432MHz EME用アンテナの写真)

 脱線しますが、IC−706MKIIGは非常に優秀なリグで、混変調特性と受信感度のバランスが良くとれていると思います。(7MHzでしばらく使っての実感です)。144のEME受信でもTS940+クリコン以上に良く聞こえます。いつの日にかJD1でEMEのpediをしたいと思っていますがその時にはIC706を持っていこううかと思います。

(タワー HDX-559J 144MHz 13elex4

          7SDX:14-28Mhz 7ele

     TD3040:7−10MHzダイポールアンテナの写真)

 昨年5月EMEの500W免許をもらいましたが、これまでのEME交信数をまとめてみました。
 432MHzQSO数106、交信局数58、DXCC16、144MHz QSO数40、交信数28、DXCC13。

 これからの抱負ですが、なるべく多くのバンドでDXCC100を達成することを目標としたいと思います。まだ一度もDX-QSOしたことの無いバンドは1.9MHz-1.2GHzで1.9MHz、50MHzと1.2GHzです。私にもDXのできそうなバンドは、1.9,3.5/3.8,7,10,14,18,21,24,28,50,144,432,1296の13バンドありますので、今年の目標として、多くのバンドQRVできるようにアンテナを整備することと(現在7,10,14,21,28,144,432の7バンドアンテナあげています。18/24の3エレと1296のdishは地面で待機中)、1.9,50,1296で一局はDX-QSOすることを目標にしたいと思います。144は結構DXCC稼げますので10年くらいすればDXCC1OO近くは行くと思います。

 これは、リレー随談とは別に若手の発創から、生まれたものです。お間違いなく。JI6KVRさん、来月、よろしく。

 本文中、アンテナの写真が2枚ありましたが、コピーのため不鮮明でした。申し訳ありませんが、省略させていただきます。(PHC)

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