EDXG ブリテン

リレー隋筆

   

JR8AJR

 私のハムライフと題して

 私とアマチュア無線との出会いは、近所の仲間が当時ラジコンーを、持っており線もなくて良く動いていると不思議に思えました。それが、電波と言う物に興味を持ち始めたきっかけになりました。「二度目は、当時144mhzで山でのモービル運用でしたがその話し声がどこから聞こえて来るのか聞き耳を、立てていたのを覚えております。

 それから少しずつのめり込んで行き様々な本を読んでいる内に手軽で何かいい物がないかと漁り始め初歩のラジオが目に止まりcbと言うコラムが有りました。早速資料などを見けて当たり次第に自分なりに珠し始め、やっとこれが良いと思い貯金箱のぶたさんに祈りを、込めながら思いきりえいと割りました中を見るとご想像のとうりでした。

 それからアルバイトお年玉で何とか念願のトランシーバーを、買う事が出来ました。当時北海道電波管理局に免許申請をして網走046と言うコールサインを、もらい、無我夢中で3年間が過ぎ1980年にアマチュア無線のライセンスを、取得し現在ので運用をし始めました。最初は、クリエート製の218Aと言う4エレ八木で地上高13mhで屋根馬でした。リグは、TS830にVFO240で運用を、行っておりました。

 BANDを、ワッチしながら国内QSOを、聞き汗だくになりながらペンを、持ちQTH QRAなどを確かめながら何とかすべてコピーする事が出来るようにようやくなりさあ、実際にQSOして見ようと思い清水寺から飛び降りたつもりで望んで見ましたがこれが七転八倒の連続でありました。そうこうしてる内にDX局から呼ばれてしまいどうしょう・・‥緊張が走りました。その時の模様を、少しお話したいと思います。VK(オーストラリア)で方事の英語(単語・辞書)を、調べながら一語一語冷や汗を、かきながら何とか20分位だったと思いますがQSOを、終了出来た事が思い出に残っています。

 その頃より海外通信(DX)に目覚めて行きちょうどDXCCに興味を、持ち始め何とか200C以上超え始めてからアワードに執着心が少しずつ無くなりDOWN UPの連続で、これはいけない様な気がしはじめ、高校時代にアラスカ人などエスコートをした経験を思い出しこれからは、DX通信だけでなく人と人の出合いを、大切にし、個人的レベルの国際コミュニケーションを、する用に今後心掛けながらアマチュア無線を、行っていきたいと思います。

最後に成りましたが今後共皆様方の御指導ご鞭捷の程宜しくお願い致します。

 北海道 遠 藤 哲 則

99.JULのEDXGブリテンへ