EDXG ブリテン

私はこうして1アマ従事者免許に合格した

   

JA5LYS

 1アマを受けるにあたって、当局のローケーションは香川県のほぼ中央(2km−W高松空港)の丘陵地帯で、NEは屋島の南・Nは高松港・NWは瀬戸大橋Wは庄内半島・WSは遠く阿讃山脈と全ての方角にGOODの見晴らしであります。

 MY XYL JH5KTZ日く、お父さんこれだけ目立つタワーを持っていながら2アマでは恥ずかしいですよ!先輩のJA5EY日く、無線に誇りを持つにはDX聞こえたら交信可能にする出力と設備・交信テクニック・熱意・和文試験の廃止等耳にタコができる程語ってくれました。
 両者の励ましの言葉に釣られ(魚つりも大好き−趣味は2個のみ)受ける決心をしたのがH8・7の夏、当時48才です。

 受験するにあたって最大の難関は、H8・10期の試験までにモールス受信をどのようにしてクリアするか?与えられた期間は3ケ月、CW交信はほとんど無く1からの勉強になったことです。
 そこでCWランダム発生器を購入して帰宅したら毎日聞く・書く(受験用紙と同じものを作成)を1時間、仕事中にもA〜Z、0〜9の文章があれば必ずモールス変換、単身赴任でしたので松山−高松の往復にも車の中で聞く・書く(手で書く動作)を繰り返したことによりH8.8半ばには40字まではなんなくOK。
ところが、これが大変で5字速くするには焼く2週間程度必要だった。
 (受信はできても3文字以内のミスで書けない・手にこない)
 解読できても書けない符号は類似符号のためJ手にくるまでの時間がかかりすぎることに気づき1時間練習の後、類似符号のみ30分練習した結果9月中頃にはなんとか70字程度に達することができました。

 法規・工学の勉強は、過去の出題問題・解説集を購入して私なりに整理(例過去の出題傾向をチェックしてみて直近の1年間は除いた)して勉強しましたが、何分48才というオジンなので3日前のことは覚えていても4日以前のことはまったく記憶していない事に気づき、受験3日前は殆ど物を言わない・TVは観ない・大食はしないビールは少々とし受験前日は早めに仮眠をとり午前0時からは寝ないで受験(寝ると忘れる気がした)しました。

 受験当日の会場はうす暗く、解答用紙の色が淡く48才の私には大変みずらかったので年寄りは老眼鏡(普段の業務では必要なかったですHi)を持参したのがよかったです。

 試験席は最前列のモールス音発生の前に陣取りました。これは受信時に雑音を避けたかった訳です。(試験がはじまってから50%までは完璧受信できこれはいけると思った時突然パタパタパターーーーの波を打つような筆記音が聞こえ、今私は試験中なのだと我に返る間に2文字飛ばしたのを覚えています)

 試験科目が1科目終わるたび、やれやれ、OKと胸をなでおろしながら受験したのを思い出します。
 (ちなみに試験中はいつも最後の5人中におり恥ずかしい想いです。)

 おかげで48才のオジが見事1回でパスできましたが、XYLのJH5KTZ・先輩のJA5EY局の公私に渡っての力添えは大きな励ましであった手紙面を借りて発表します。

 その後、新しい免許証の交付(H8.11)、転勤により実家へ帰宅してからまずホームのシャツクを修理(H8・12・31大晦日 ANT交換CD製714Xロータ交換)してON Air可能にする。

 翌年のH9.4.28 2NDシャツクにて1.9〜28MHZ 10バンド1KW変更検査。

 翌年のH10.4〜7 2NDシャツクグレードup クランク22mH 21Mhz6工レ2スタック

 翌年のH11.13〜7 2NDシャツクグレードupスタック専用タワー 21Mhz5エレ4スタック

**EDXGのJA5EY西岡先輩には、何かとお世話になりましたいずれ近いうちに当局とXYL・長男と嫁?で元気な顔を見にいくつもりです。お元気でEDXGの局長さんお空でお会いいたしましょう。**

HAVE NICE DX 73!DEJA5LYS hara後輩より

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